塾で国語を習う意味

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子どもの中学受験を検討するにあたって資料を取り寄せている。資料を見ていると低学年のうちは算数と国語を学習するカリキュラムが多いようだ。しかし、国語(現代文)だけはスーパー得意だった私は「国語って何を勉強するの???」と疑問符でいっぱいになってしまう。

カリキュラムの詳細をパンフレットに掲載してくれている塾もありその中身を見ていくと物語、随筆、論文があたかも別の単元かのように扱われている。個人的には文章の読み方なんて、全部一緒じゃないか?と思う。過去の栄光を自慢するようでさもしいが、私は現代文なら高校受験も大学受験も読み方など考えずとも普通に解けたし、公務員試験の論文も特に対策せずとも通った。

問題文があって設問がある。そして、問題文に答えが書いてある。それだけではないのだろうか。甚だ疑問である。

国語の授業というものが存在するのでそこにニーズというものがあり一定の教育効果がありそうなのは理解できるのだが、小学生、特にあまりに低学年のうちに読み方を指導してしまうのは本来的に国語が得意な子にはかえって悪影響がありそうな気がするのだ。

国語が得意であれば、問題文など何も考えずに読めば良い。そして、聞かれたことを素直に答えていけば良い。それで大抵の問題は解けるだろう。難関私大の文章等すっと頭に入って来ない文に出会って行き詰まったら、そこで初めて順序立てて話の筋を慎重に追えば良い。(私も国語は得意だが天才ではないので、正直早稲田の現代文や岩波文庫だとスラスラと読めないものがあった。)

しかし、塾で文章の分類別の読み方などを叩き込まれてしまうと文章を楽しむどころではなくなってしまうのではないか。自分で文章に喰らいついていく力は育つのだろうか。

「これは物語文だから◯◯に注意して読もう、△△という点にも気をつけないとな。さて、まずは文章を分解してみようか・・・。」などと考えたら面白い文章を面白い文章として味わえなくなるのではないかと思ってしまう。(塾の指導によってこんな読み方をするようになるのかは分からないがイメージとして。)

頭で考えるような読み方をしては流れに乗れない気がする。そうして読書を嫌いになりはしないだろうか。

話を中学受験に戻すと、要は国語の授業を受けること自体に懸念を感じ始めてしまったので中学受験対策をどうしようかもう一歩踏み込んで考えてみたくなったという事だ。

子どもが読解が苦手そうなら(我が家はまだ分からない)介入はありだと思うが、対話で親が導いていく形式の方がまだしっくりくるように思う。

私自身が国語が得意なので国語についてモヤモヤを感じるだけで、他の教科が得意な親御さんも(その教科の指導について)同じような葛藤を抱えているのだろうか。

そう言えばくもんで機械的に計算を習得する事について問題視されていることはあるが、塾の国語の読解については特に聞かないので問題ないのかも知れない。

自分の性格を考えると最終的にはプロにお任せするのが無難だろう、と大手集団塾に通わせる選択をする気がするのだが、こんなことを考えたこともあったと備忘録的に残しておきたい。

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