学校で基礎的事項を学ぶ意味

先日子どもに「なんで勉強するの?」と聞かれて「楽しいからだよ」と答えた。私としては嘘偽りない言葉でそれっぽい事も言ったし、この時一緒にいた夫がちゃんと更にそれらしい事も言っていたのでそれっきりになっていた。

まだ本格的な勉強はしたことがなく、義務感とは無縁の子どもの質問だ。小学生になったらお仕事として勉強が加わるよ、と話した事があったので単純に疑問に思ったのだろう。理解したのか知らないが(話がよく分からなくて興味を失ったように見えた)違和感を感じた様子はなく話題はすぐに他に移った。

違和感を感じたのは私だ。学生時代、ある種義務感で勉強していなかったか。強制されているわけではなく当然のようにやっていたので義務感という言葉は相応しくない気もするが、例えば高校数学にワクワクしたか?答えはNOだ。

そんなこんなで心に残っていたのだが、今日ふと私の中で答えが出た。

基礎的な勉強は荒唐無稽な情報をそうと判断するために学んでいる。物の見方を身につけられたら上等だ。

義務教育に限らず、大学での学びも同様だろう。その分野の基礎的事項を学ぶことで情報を見る目を養っているのだ。

大学に行かずとも求めれば学習の機会は多い。それであっても私は直感的に学校での学びを価値あるものだと思っている。その答えが見えた気がする。

私の中での現状での正解に見える回答でしかないが、何となくスッキリした気持ちになったので忘れやすい未来の自分のために書き残しておこうと思う。(読み返すかわからないが一度言語化しておけば忘れにくいだろう。)

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