
Googleで地頭論と検索したらたくさん記事が出てきて面白かった。出てきた記事は「地頭の差はある」という結論のものばかりだ。
これがいわゆる(最近放送大学で学んだ)フィルターバブルってやつかな〜?と少しワクワクした。
それはそうと、私は地頭の良さは親がやるべき事に関係ない論を勝手に作って信奉しているが、地頭自体はあると思う。
例えば私も、カードゲームでこちらの手を全て読まれている感じを覚えたり(実際に相手にならなかった)明確に頭の回転や思考力といった基礎能力の差を会話の中で感じたりした経験がある。
そこに至るまでに彼/彼女らが努力をして来たのは知っているのだが、脳の基礎スペック自体が違うという感覚を覚えた。ついでに頭のレベルが違うと話の結論に至る道筋が見えなくてビビる。
私も多分地頭はそんなに悪くないのだが、本当に上には上がいるのだ。それもいくらでも。
人生、少し頭が悪いくらいが楽しいかなと思うこともあるけれど、天才になってみたいと思ったりもする。私は本を読むのが好きなのだが、きっと天才だったらもっと読書体験が楽しくなるから。
さて、世間には勉強の仕方については色々記事があるけれど地頭レベルが違う人の話をそのまま自分に適用してはならない。
また例え話をしよう。地頭が良い場合、学業はこんな感じになる。※本人無気力、親もほぼ関与なしバージョン
学校の授業時間に教科書をさらっと読んでおく程度でテストで100点(小学校)、オール5(中学校)を勝手に取って来て県トップの高校に進学。夏まで部活をし、引退後もダラダラ。予習復習は中高通して皆無。塾など行くはずがない。
そんな感じで文字通りの意味で勉強をしなくてもセンター試験なら国語は9割取れるし(古文も単語とか文法が分からなくても雰囲気で取れる)、通知表で1を取るレベルで数学が苦手でもなぜか6割は取れたりする。英語も基礎的な単語をサラッと覚えたら8割は超えてくる。センター利用でとりあえずMARCHを抑える。
で、過去問もやらず(買ってすらいない)に受験に臨んで難関大に合格···。
これらは私の身内の話なのだが、上で例に上げた人々よりも地頭レベルは一段下がると思う。それでもこれだ。これが世の真実である。
そんな人達の勉強法や受験論が参考になりますか?なりやしませんよ。(やけっぱち)
一方で東大を出ていても天才ではなく秀才タイプもいる。というか、東大でも天才は1〜2割で後は天才ではないらしい。私は知らんが東大の人が言っていた。
彼の言う「天才ではない」のレベルは凡人からすると天才的であるのだが、何となくその感覚(天才1割)は正しいと思っている。
地頭>教育という研究もあるようだが、世の中はほとんどが自分と同じ凡才あるいは秀才なのだがら彼/彼女らの事は気にしなければ良いのだ。
凡才同士で争うのであれば、学業成績を分けるのは環境であり教育であろう。
話があっちゃこっちゃした。
個人的に地頭は存在すると思うしこれに関する話は面白いが、一種遠い世界の話として扱ったほうが良いと思う。地頭論を何らかの形で活かしたいのであれば、彼我の地頭レベルを見誤らないようにするのが吉だろう。
